ある研究所が行なった調査結果によると、子供が家の手伝いなどをした時に「お駄賃」を渡す親は55%、成績が上がったり、試験に合格したりした時などに「ご褒美」を渡す親は64%いるそうです。

 

子供がお手伝いをしたり、勉強などを頑張って結果を出したりしたら、それに金品で報いる、或いは、やる気を促すための動機付け(インセンティブ)としてご褒美をあげる、という考え方は世間である一定数を占めているようです。

 

しかし、私は「成績が上がってもご褒美を上げる必要はない」と考えます。そもそも「成績が上がったから何かをする、成績が下がったから何かをする」という発想が、私個人としてはあまりしっくりきません。

 

成績だけに限らず「ご褒美」というのは力の強い人が力の弱い人を自分に従わせる目的で使うものだと私は思います。言い換えれば、権力者が人を支配しようとするときに力を誇示するために使うようなものです。人に罰を与えるのも同じ構図です。

 

つまり、子供を自分の思い通りに支配しようとする気持ちが「ご褒美」や「罰」に繋がっているといっても過言ではありません。

 

鎌倉幕府から始まり明治維新まで続いた、武家社会の基本的な成立要素として機能した「御恩と奉公」という主従関係を思い出します。結果、ご褒美をもらえなかった武士が不満を募らせたのが鎌倉幕府の衰退の原因の一つでした。

 

子供にずっと「ご褒美」を与え続けるおつもりですか?「ご褒美がなければ勉強しない」と子供が言い出したら、親はなんと答えるのでしょうか?「ご褒美」がなければ、「罰」がなければ勉強しない子供は将来、どんな大人になるのでしょうか?

 

成績が上がったら、思いっきり褒めてあげたらいいのです。思うような結果が出なかった時は、次に繋がる言葉をかけてあげればいいのです。最も大切なことは、それまでのプロセスを認めて褒めてあげることだと思います。結果はあくまで一つの指標にすぎません。

 

「教育の経済学」という本の中に「成績が上がったらご褒美を与えるというのは教育経済学的にはありか、なしか」の内容が書かれていました。莫大な数の (主に、アメリカの小学校や中学校での) 実験結果をもとに出された結論は「あり」なのだそうです。

 

ただし、アウトプットよりもインプットに対してご褒美を与える方が効果的だということも書かれています。

 

つまり、この本の中で、成績が上がったからご褒美を与えるのではなくて、例えば毎日一時間勉強をしたプロセスに対してご褒美を与えるというやり方の方が効果的だと著者は主張しています。