子どもが勉強しないのでイライラしてしまいます

どうしてもイライラしてしまう

子どもの成績が悪い、特に子どもに勉強する気が見られないと、イライラしてしまいます。自分が学生の時に勉強しなかったことが今の収入につながっている。こんな調子では高校受験でどうなるのか。今だからこそわかる勉強の大切さ。だからこそ子どもには勉強していい高校、大学に進学してほしい。

しかし、子どもにそんなことはわからない。わかってはいるものの、いざ親になってみると、こんなに不満、イライラ、焦りを感じるものなのか・・・

わかってはいるものの、どうしてもイライラが止まらない。しかし、イライラして嫌な雰囲気を醸し出しても、それで子どもの成績が改善されることはありません。それどころか悪くなっていく一方です。

ここではその「成績が下がる」→「イライラして叱る」→「成績が下がる」→……といった悪循環について一緒に考えてみましょう。

「親心」と「反発心」

やるべきことをせず、いつまで経ってもダラダラしている子どもにイライラした気持ちを募らせてしまいます。無理ないと思います。しかし、そこでイライラした気持ちを爆発させようものなら「今やろうと思ったのに!」と文句が返ってきた経験はありませんか?成長に合わせて自立心が芽生えてきた子どもは指図されることを嫌がるようになり、しばしば親に対する反発心を起こします。

だからといって親が何も言わなければずっとダラダラしているので、つい口を挟みたくなるのは当たり前。しかし、「言われたからやる」ということを忌々しく思う子どもは叱られることでモチベーションを失ってしまうのも確かなのです。ここが精神的に未熟な子どもの難しいところですね。無理のない話と思います。

勉強だって同じこと。毎日学校に通っているなら全く勉強していないわけでもありません。それなのに「勉強しろ」と叱られてしまう……。そんな親に対して反発したがる子どもは勉強と叱る親の姿を重ね合わせ、ますます勉強する気を失ってしまうのです。

「ぼくだって勉強しないといけないとは本当は思っている。どうしてわかってくれないの」

子どもだって子どもなりに勉強をしているのに、思うように成果が得られないのかもしれません。あるいは勉強よりも優先したいことがあり、そちらに夢中なのかもしれません。そんな子どもは親から頭ごなしに叱られると「なんで理解してくれないんだ」と不満を溜め込むことになってしまいます。

不満を抱いてることが表情に見え見えのパパ、ママの言うことなんて当然聞きたくはありませんし、ますます勉強に対して後ろ向きになっていきかねません。

もちろん親御さんは親なりに子どものことをよく見て、考え、理解しています。しかしそれが通用しないのが思春期の子ども心。親が子を思う気持ち・つい口出ししたくなる気持ちは当然のものですし、なんらかの形で親が干渉しなければ子どもの成績は変わらないままなのも現実です。

むつかしいところではあるのですが、「イライラ」する気持ちをなんとかなだめて、はまた違ったアプローチでお子さんを支えてあげることが必要となるのです。

第三者のサポートを手配する

親御さんの支えなしには生きられず、自立したくてもできない未熟な心。それでもパパ、ママが直接的に干渉してくるのには反抗したくなってしまうお子さんに対して親ができるのは、親の姿を見せない間接的なサポートです。

このくらいの年齢になると、子どもは叱って言い聞かせなくても現状を理解しているのです。しかしどう改善すれば道が開けるのかがわからないでずっともがき続けています。そこで親が塾や家庭教師を勧めれば、子どもはそこから改善すべき点を見出し、講師の助けを借りながら自分の道を切り開いていくことでしょう。

イライラする気持ち、お子さんを心配する親御さんなら無理からぬことです。しかし、問題解決の糸口を、受け取りやすい形にしてそっと差し出すことが子どもの成長を促すのではないでしょうか。

お子さんの成績が伸び悩んでいるようなら、親自らが叱ったり勉強を見張ったりするよりも塾や家庭教師といった第三者の手に子どもの学力アップを委ねるのが小学校高学年以降のアプローチになってくると思います。

なんにしても、思春期を迎えて自我が芽生えてくると、自分の意思を持つお子さんはもはや親の言いなりにはならなくなってきます。親の言いなりで自分を抑えていると、大人になってから以降に不満が爆発したり、子どもさんが家庭を持った時に妻、こどもとの関係性に悪い影響が出てきたりするものです。

子どもさんの主張はしっかり受け止めたうえで、気持ちに理解を示したうえで一緒に方向を考えていくというのが、思春期以降の親と子どものしなやかな関係性になってくるかと思います。自主性を尊重しながらときには少し離れたり適度な距離感の中で成長を見守る、これが思春期のお子さんにとって心地よくもあり、自主性の芽生えを認めてもらえたという納得感につながってくると思います。